雷、らいとううんぽんの意味?
皆さんこんにちは、
今日から盂蘭盆です。
御家族でお亡くなりになりました霊を
お迎えしてまた、お見送りする行事です。
年に二度、(お正月、盂蘭盆)兄弟の家族が集まり
実家は、子や孫に囲まれて大変なにぎわいで
寂しかった実家もこの日は、
お祭り騒ぎです。
さて、僕が10代の子供のころのころです。
実家に集まっていた親父と、叔父さん達が
近くの銭湯から帰ってきました。
「夕立が来るみたいやで、走ってきた」
と言った瞬間、銭湯の煙突だと思いますが
雷が落ちました。
遠くで雷が鳴っていてもうすぐこっちに来るぞと
思いきやアッ!という間の出来事です。
雷が落ちた近所からは明かりが消え
実家の部屋も、暗くなりました。
これから皆で宴会をやる前の出来事でした。
遠い昔の事では有りますがあの雷の爆音は
今も耳に残っています。
そんな雷様ですが、
厚い積乱雲がもこもこと出来て
雷が鳴ったと思ったら激しい雨が降り出します。
どしゃ降りの雨も数分後にはやんで
「あの夕立は何だったんだ⁉」と思ってしまいます。
雷騰雲奔「らいとううんぽん」と読みます。
goo辞書より
(現れたかと思うと、すぐに去ってしまうたとえ。また、わずかな間もとどまることなく、かなたへ過ぎ去っていくたとえ。雷が鳴り響き、雲が急速に流れる意から。▽「雷騰」は雷がわき起こること。「雲奔」は雲が流れ去ること。「奔」は走る意。)
とありますがこれに似たような四文字熟語に電光朝露「でんこうちょうろ」と読みます。
いなびかりと朝の露。はかなく消えやすいことのたとえ。「電光朝露の命」
あっという間に過ぎ去る夕立。
朝露に濡れた露も儚く消え去ってしまう。
今回は、盂蘭盆と言うことで
命の尊さを見つめてみました。
我々人間は蝉のぬけがらを見て
儚い一生だと思います。
では、我々人間はどうでしょうか。
決して長い人生だとは思いません。
百歳生きようが二百歳生きようが
必ず訪れるのは、死です
我々人間にとって恐怖です。
それを解決したのが仏教です。
お釈迦様は、一国の皇太子であるにも関わらず
栄耀栄華を捨てて悟られました。
この盂蘭盆の意味も仏教から来ているんですね。
命の尊さ、儚さを
各上人様も言っておられます。
「明日あると思う 心の仇桜 よわに嵐の 吹かぬものかわ」
親鸞聖人
「散る桜 残る桜も 散る桜」
良寛禅師
などの御歌があります。
雷騰雲奔(らいとううんぽん)
蝉のぬけがら
今年も盂蘭盆会はコロナ禍では有りますが
是非とも御先祖様、遠祖様、各霊の御供養を
ご家族でお参り下さい。
電光朝露 (でんこうちょうろ)
雷騰雲奔(らいとううんぽん)